社会をよくする、楽しくする

地方の衰退と少子化に危機感を覚え、2013年夏に地元静岡へ戻って来ました。
これからは地方の活性化と子孫繁栄に残りの人生を捧げます! なんて大きなこと書くと周りから引かれてしまいますが、自身の強みと持ち前のマイペースで活動していきまっす!(・ω<)ゞ

2014年08月

大嫌いな人に、”ありがとう”って言えますか?

 先日参加させていただいた朝活で、私のブログを読んでます。企業ナンパ面白かったです!と
感想をいただきました。しかも初めてお会いして、感想を頂戴し、ダブルで嬉しさいっぱいな朝でした!
ではその企業ナンパ絡みでもう一つ。

上司や親、友達に叱られたり怒られたり、嫌いな人やどうもイマイチ相性良くない人から嫌味を言われたりしたら、どんな気持ちですか?
当然、いい気分にはなりませんし、気持ちはヘコみ、時には心が折れますよね!?
今日はそんな場合に使える、私の編み出したライフハックです。

叱られたり怒られたり、嫌味を言われ、イラっとしたり気持ちがブルーなりそうになったら、
”ありがとう”を3回、ココロの中で唱えてください。
”ありがとう、ありがとう、○○さんありがとう”←こんな感じです。最後は名前を添え、対象の方を特定して
唱えるのがミソです。

そうすると、”ん?なんで叱られたのに、感謝してるんだ?"という疑問にぶつかります。
ぶつかったら立ち直るチャンスを掴んだも同然!(この時点でさらにイラっとしないように!)
ここで、「なぜ感謝したのか?」を深堀りしてみてください。
例えば、仕事で些細なミスをしてしまい、理不尽で過剰ともいえる叱られ方をされたとします。
そこでありがとうを3回唱えますね。(声に出さなくていいです。相手を拝まなくていいです。おかしい人と思われますので)
”ありがとう、ありがとう、○○さんありがとう。叱ってくれてありがとう。ここでミスに気付かずお客さんに提出していたら、信用失っているとことでした。ありがとう”
こんな感じで怒られた原因・本質を探り、その先にあったことを考えます。

企業ナンパになぞらえるとこうです。もし、訪問先のナンパを受けた企業の方が怪訝な態度だったら、
”ありがとう、ありがとう、アポなしで訪問したのに、電話しようとしていた手を止めてくれてまで対応してくれてありがとうございました。”
こう唱えながら訪問先を後にするとまた後日行きたくなっちゃいますし、”次の訪問もどうせまた断られるんだろうな”なんて気持ちになることなくナンパできます。(あ!企業だけでなく女子ナンパにも使える!)

感謝しているうちに、ネガティブな感情がスーっと消えてしまいます。※ホントですよ。やってみてください。
夫婦ゲンカにも応用できます。ありがとうを唱えて感謝したことを深堀りしたら、今度はこのまま
素直にその気持ちを相手に伝えればいいだけです。素直な正直な気持ちはきっと通じます。
(だからパートナーであるという裏打ちもありますし)

「感謝という呪文」←MPは消費しません!
マーケティング的に見れば、叱ったり怒ったりしているということは「関心があるから」そのものなのです。
マーケティングでも人間関係でも社会問題でも一番怖いのは、「関心がないこと」。
関心を持っていただいただけでもめっけ物なのです。先ずはそれに気付くと次のステップに移れます。
だから子供にもよく言ってます。いじめで一番悪質なのは無視すること。だから何に対しても先ずは関心を持て!

いかがでしょうか?最近あった、未だ引きずっていた嫌な事、”ありがとうの呪文3回唱えてスーっと消えたでしょうか?ドラクエ的にはバシルーラと同じ効果ですね。
デフォルトで備えていて、MPも消費せず、HPを回復する効果があります。経験値も積めるからLVも上がるかも!?
次のドラクエで採用してくれないかな!?(^^)
「勇者はありがとうをとなえた!」(ありがとう、ありがとう、ラスボスさんありがとう。ずっと待ってくれていてありがとう。世界を支配し、モンスターを管理してくれていてありがとう。おかげでここまで成長できました。)
「たがいの心が浄化されていく!」
「勇者とラスボスは和解した!」
なんて!win winでフィナーレを迎えるRPGがあっても面白いかもしれません!?

最後に結ばせていただくならば、
ありがとう、ありがとう、ありがとう。読者のみなさま、ありがとう。
今日のブログを文末まで関心を持って読んでいただき、ありがとうございました!m(_ _)m

DATAFILE.JPNが更新されてました。
 NHKのNEWSWEBがまとめている、「DATAFILE.JPN」3回目がアップされていました。
余談ですが、このサイトを知ってから番組の録画予約してたのですが、毎週流れていない曜日を予約録画してたようです。”4/20broadcast”とあるので、日曜日放送だったのですね。TVの設定見たら月曜日になってました。ううぅ
余談はさておき、3回目のタイトルは「未来の津波に襲われる」です。
東日本大震災で被災した東北地方の人口減少を皮切りに、”新たな住民流出”として静岡県が取り上げられています。
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出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
沿岸部の自治体で人口流出が顕著に伺えます。
そして次に、この3年間で2400人位上が転出した焼津市。市の調査で転出した方にアンケートをとったところ、31%の方が「地震・津波」に対する不安から転出したとの回答をまとめています。

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出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
一方で流入先となったのが同じ静岡県の藤枝市清里地区。新興住宅地でもあります。
3年前の1023人からほぼ倍の1979人。学校の教室が足らなくなる事態が起きているそうです。
まさか県内で人口のバイアス(偏り)が起きているとは思いもよりませんでした。

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 出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html
同じような影響を受けているのは静岡県だけではありません。
南海トラフ地震特別強化地域でも消防本部の移転や、沿岸部の企業移転を自治体が高台を用意して地域外移転を食い止めたりといった影響が出ています

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 出典:http://www3.nhk.or.jp/news/dj/datafile.jpn/20140420/index.html

まるで、津波が去った後のよう
 言い方悪いのですが、まさにタイトルどおり「未来の津波」に襲われた後のようです。
地域の魅力だけでは引き止めにくい問題です。
私が子供の頃、東海地震がいつか来る、という名のもとに防災訓練は頻繁に行っていました(今でもそうですね)
ところが東日本大震災、南海トラフ地震という名前がクローズアップされるようになってからは、東海地震という名前は聞かなくなり、より広域で対策するようになりました。静岡県としてできることがあるのならば、こういった防災訓練の文化を広げて意識を高めることはできるのでは、と思いました。
 

日本の島の数、知ってますか?
 TED☓TOKYOに出られた鯨本あつ子さんのプレゼンを観てびっくりしました。日本の島々、その数いくつあるかご存知ですか?














(╹◡╹)!
その数6,852島だそうです!
300かな?多くても500はないでしょ!?なんて思いませんでしたか?わたしもいいとろかなり盛っても700くらいかなぁ~なんて思ってました。
そして人が暮らしている島が430になるそうです。
島に移住する友人からの気付きで、離島の情報発信をしようと新聞発行に乗り出されています。
詳しくは最後にリンクを載せておきますので、ぜひ拝聴ください。

宝島はネットの外側に!?
離島の素晴らしさをまとめ情報発信しようと動き出したのも、インターネットに離島の情報が少なかったから。と彼女は言います。
なるほど、きっと人口の少ない島であればなおさらなのかな。とも思いました。
でも逆に考えるとネットの世界の方が伝えてもらいたい情報が少なかったり、埋もれてしまっていれば離島のように”素晴らしさ”を伝達できていないのでは。と思いました。
かくいう私も、”ネットから拾えない情報はない”ことと、”PCでできないことはない”と信奉しているきらいがありました。
でも拾えない情報って実はあるのですよね。5感で言えば味覚や嗅覚。その場の空気感もその場所に行かなければ得られない体感情報です。
そういえばネットが発達してから「行動する」という動作が鈍くなった気がします。引きこもりもこの最たるものではないでしょうか。
だとすると、やっぱ行動することから出会うこと、その場に行くこと、体感すること。これらの方が情報量と質に優れ、人を成長させるのだと思いました。
うーん書いていて”もうわかってる人いっぱいいるだろう”けど、”こんなことに今更気づくの遅いよ”かもしれませんが、現代社会の病巣が見えてきたような。。。
ネットの情報って豊富そうで実は薄っぺらいのですね。宝島はネットでは見つけられない!ネットには載っていない!載らない情報がドアの先にある!ちょっとPCから離れてみようかな(^^)!
参照:日本の離島は宝島: 鯨本 あつこ at TEDxTokyo
ハフポスト:「離島は宝島」 主催者・鯨本あつこ氏が語る、「離島メディア」をつくったワケ









 

子供と清掃作業をして思うこと。
 昨日のフェイスブックにもさわりだけ書いたので重複する部分もありますが、こんなことがありました。
※コピペしちゃいます。
夕方の散歩の時、次女と愛犬と近所の公園まで行きました。
公園の広場にパッと目を配ると、ペットボトルやらお菓子の容器が散在してたんですね(>人<;)
ブランコしながら次女に
「ゴミが散らかってるね、どう思う?」
「だめだねー」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「片付けた方がいいと思う」
とゆーことで2人でペットボトル4本とお菓子(ソフトクリーム)の容器とスプーンをいくつか回収しました。
愛犬のエチケット袋の予備があったのでゴミはまとめ、ペットボトルは手で持ち帰りました。
思ったことは今夜ブログにまとめます。
それと今後はもう一回り大きいビニール袋を持って散歩に出かけたいと思います(^ ^)
 


ま、日常ありがちな光景。といったらそれまでなのですが、NPOサプライズ飯倉さんが以前おっしゃっていた、”ゴミ拾いを始めたきっかけと同じような光景”が自分の眼前に広がっていたのです。→NPOサプライズの清掃活動はコチラ
見過ごすか、行動するか。考える必要なんてありませんでした。0.1秒、いや0.000001秒で「片付けよう」と思いました。
公共の場所だけでなく社会はみんなのものです。みんなのもの、というと所有物のようですので言い換えると”みんなが利用するものです。プライベートの場所・モノ以外は、すべての人の利用機会を内在しているのですね。
それと捨てていない自分があえて片付けることには、「割れ窓理論」のことも頭によぎりました。(ニューヨークの地下鉄で落書きを一掃したら犯罪が激減した)
子供も利用する公園をキレイに安全に使いたいのは、私だけではないですからね。
それに前述の子供に聞いたら片付けるという意見も尊重し行動に移したわけです。
ゴミをまとめ、最初近くのコンビニのゴミ箱に捨てようと思いました(拾った容器がおそらくそこのコンビニのものだったので)。でも止めました。コンビニのゴミ箱に処分することはカンタンです。でもそうでない気がしたからです。自宅に持ち帰ってペットボトルは水道で洗い、潰しました。

他人の尻ぬぐいをやる必要はあるのか
 街や社会は”みんなのため”なんてあえて考えること、30を過ぎるまで考えたこともありませんでした。”みんなが使うから自分もちゃんとしよう”というとなんだかおこがましくて逆説がはびこっているなら自分もちゃんとしなくていい。なんて考えも起きてしまいそうです。
それよりも、”みんなはそうは思ってないかもしれないけど、自分からちゃんとしよう”と考えると、他人のエゴなんてどうでもよくなり、逆に賛同している人がいれば共感し合流できると思います。
”ゴミを拾うのはゴミを捨てた人”ではなく、”ゴミを拾うのは自分の社会を安心して利用するため”くらいに思って行動すると、”誰かのため”と”自分のため”がセットになっていて、行動にも葛藤は現れないのだと思います。
何より、ブログのタイトルどおり、「社会をよくしたい。楽しくしたい。」そう思っていることが行動になっているだけなのかもしれません。
”人間は思ったことしか実現しない”なんて時々聞きますが、最近思うのです、もっと自分にはやらなくてはならないことが他にたくさんあるのではないか。今、生きていることが成すべきことを成していないのではないか。自問自答の日々です。 

子供を授かることは喜びと大罪を同時に受け取ることだ
 次女がこの春から晴れて幼稚園生となりました。長女とは7つ離れているので、生まれてきてからは次女とそのファンの家族。というような立ち位置でしたので、姉妹でケンカもなく(というよりもお姉ちゃんが一方的にやられてますが)、楽しく過ごしています。

7つ離れているというのは、「となりのトトロ」のサツキちゃんとメイちゃんの年齢設定と同じです。そして今年がちょうど同じ設定歳なのですね。キャラクター的にも2人は似ていると思います。しっかり者のお姉ちゃんにおてんば娘の次女なので、映画とそのままです(^_^;)

私は10年前に親となってその当時から思っていましたが、子供の成長は嬉しい半面、寂しい1面もあるのです。
これは女の子を持つ男親の方なら理解してもらえるでしょうか。寂しいなんて口にできませんから、ここに書き残す程度にしておきますが、「大きくなったらパパと結婚する!」なんて言っていた子供がだんだん大きくなってきて少しづつ大人に近付いてしまうのは、正直言って寂しいです。

親として可愛くて仕方ない、手を離したくないのに成長とは皮肉なもので喜ばしい分、離れていくのを実感するのも事実です。そう感じる時、なんて大罪を背負ってしまったのだと思うこともありました。
だからもう1度!というわけでもありませんが、2人目でリスタートしたかったのもココロのどこかにあったのかもしれません。

次女が家族にやって来た時は、”早く大きくなって家族で遊べるようになるといいな”と思うようにしてましたが、いざ幼稚園生になると1抹の寂しさがちょっとだけ過ぎりました。
ここで謝っておきます、私は子離れできないのかもしれません。

「自分さえよければいい」人間から滅びてゆく
それでも思うのです。この世をこのまま子供たちに引き渡してはならない、と。
社会には課題が山積みです。そして今の大人たちは”解決できないことは放置しておこう”という空気が流れています。
「諦めずに最後までやればできる」と教えている大人が早々に諦めている。それと損得で先ず考えて振り分けている。

例えば私の関心事である少子化問題。人口はこのままでは減る、首都圏にばかり人口が集まり地方が疲弊していく。じゃあ移民を受け入れよう。
いやいやまだできることたくさんあるでしょ!?これから多くの産業が衰退していくのなら危機感のない企業に働きかけることだってやってないでしょ!?
移民で溢れかえる日本を、子供たちに継承することを許せますか?だったら子供が増えて幸せな環境で育つ社会を今からでも作り上げてから死んでも遅くはないはずです。

少なくともこの先、今と同じ社会は形成できません。未来の利己主義者は自分の首を締め、足元をすくう、というより足元を無くすでしょう。逆に協力が未来に光を照らすのだと思います。日本社会に関わる全てが協力し合えば、解決の糸口を掴めると信じています。 
よりよい社会になるきっかけを残して死ぬのか、これが未来の課題だと無責任に問題を先送っておくのかは今の大人にかかっていると思います。
子供の寝顔、遊ぶ姿を見ていると、まだ死ぬ気で頑張れるな、と思ったりするのです。

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