社会をよくする、楽しくする

地方の衰退と少子化に危機感を覚え、2013年夏に地元静岡へ戻って来ました。
これからは地方の活性化と子孫繁栄に残りの人生を捧げます! なんて大きなこと書くと周りから引かれてしまいますが、自身の強みと持ち前のマイペースで活動していきまっす!(・ω<)ゞ

2014年09月

出会いにムダがない!
  最近、お仕事でプライベートでお会い人とお会いすると、共通の知り合いがいらしゃったり、何かの同じつながりがすでにあった。ということが多いのです。
偉そうな言い方ですが、出会うべくして出会った。というべきでしょうか。 
そういう時によく、「世間は狭いですね」なんて言ったりしますが、私はそうではないと思ってます。世間は広いです。広すぎです。だって出会うことなく一生を終えるケースの方が多いのです。
その中で出会うべくして出会うのは引き寄せ合ってるからなのだと思います。
つまり”合いたい人と会いたい”という想いが引き寄せてる。そう思った方が何だか嬉しいですよね。

どういう人と出会いたいか
 とりあえず”合いたい人と会いたい”と仮定して、”出会った”としましょう。もしその時出会った人が”相性悪そうな”、”会いたくない”ような人だったら。それはきっと”会いたくない”という気持ちを強く持っていてしまっていて引き寄せてしまった。と考えても過言ではないのではないでしょうか。
極端かもしれませんが、私も気持ちがハッピー側に傾いてない時は往々にしてそういうことがあります。
そしたらもう、沈んでいる気持ち切り替えるしかないのですね。
同じ意識を持った人と会いたい。真逆の人と正面衝突してwin-loseの結果を招くよりwin-winを網の目のように張りたい。そう思います。
なので私、会いたい人といる時はそれでお腹いっぱいなので、居酒屋などで座を囲んでいたりすると黙ってることが多いです。嬉しいのと居心地がいいのと、会いたい人が数人も同じ場にいることを感謝してます。
なので黙りこくって目を閉じているのは眠いからとかではないのですね。嬉しいことに酔いしれてます。

次はどんな出会いを
 企画している、「情熱プレゼンバトル」ですが、こちらもまだお話ししていない方がいらっしゃいます。
出会うべくして出会う人揃えだと思っていますので、今から非常に楽しみです。
それとこの企画を、広くPRしたい!そう考えてます。意識が高い人が集まると、そこから全く予測していなかったアイデアが生まれたりするものです。前回のプレ大会ですでにそうでしたので、今回もイノベーションの場になると信じてます!
情熱プレゼンバトルって何?という方はコチラをご参照ください!
情熱プレゼンバトルとは?←企画内容についてパワポをWEBにアップしてます
こくちーず案内ページ←エントリー受付中!
facebook案内ページ←いただいた質問への回答など、随時アップしてます 

株式会社いろどりってご存知ですか?
 「いろどり」という葉っぱビジネスを展開している企業をご存知でしょうか。
その会社は徳島県の山奥、上勝町にあります。葉っぱビジネスとは、例えば料亭などでモミジや笹の葉などが添えられてたりしていますが、まさにアレです。あの葉っぱを流通させている企業です。
葉っぱを毎日採って納品しているのは上勝町のおじいちゃんおばあちゃん。パソコンでニーズがある品種が毎日表示され、どれを納品するかは手を上げた人順。なので毎朝パソコンをチェックしてから採取に出かけます。
詳細は、文末にリンクしておきますので、そちらをご参照を。


インターンシップに参加したいのです。
 この株式会社いろどりでは、毎年インターンシップ研修を行っています。参加費無料、宿泊費もタダ。往復の交通費と食事代だけ用意してあとは現地に飛び込めば(の、前に電話面接がありますが)現地の人たちが迎え入れてくれるそうです。
葉っぱビジネスを学ぶことができたり、様々な交流があります。地域活性化にも役立つヒントもありそうです。
実は私、夏に引っ越したタイミングでこのインターンに行きたかったのです(ちょっとだけ時間もあったので)しかし引っ越した後の方が大変でその時間も結局取れず仕舞いでした。
知り合いでインターンを受けた方がいらっしゃったので聞いてみると、葉っぱを採取する手伝いや選別・出荷作業などのお手伝いから、インターンメイトと出かけたり一緒にご飯を作ったりしたそうです。
過疎が進む地域がある中、高齢者が元気に活動している姿は素晴らしいです。現地の方にとっては素晴らしいではなく当たり前なのでしょう。
いつか時間を作って、現地に飛び込んできたいです(^^)

参照サイト:株式会社いろどり
いろどりインターンシップ 

”ぎっちょ”とゆーかつてのマイノリティ
 突然ですがみなさん利き手はどっちの手でしょうか?多くの方が「右手」と答えると思います。
私、箸は左手でえんぴつは右手なのです。すなわち勉強しながらご飯食べられます(行儀悪いですが)
ついで言うとボール、バット、テニスラケットは右手、フリスビーは左手、バトミントンラケットは両方OK!もはやぐっちゃぐっちゃです。
今でこそ利き手の矯正は減ったかと思いますが、私はちょっとだけ矯正されたクチです。
私の親は、矯正する気はありませんでした。自由にさせる方針のもと、育ててくれていましたので。
えんぴつの持ち手を直されたのは、”書き順がみんなと違くなるから”という理由でした。なのでお絵かきをする時に左手で持ったクレヨンなりを右手に持ち替えさせてたんですね。そしてご飯の時はそのまま(飯食う時は自由)だった、と。
こうして勉強しながらご飯を食べて24時間戦える(古!)スーパービジネスパーソンが出来たわけです。
昔は”ぎっちょ”なんてよく言ってましたね。※ちなみにぎっちょの語源です。→ヤフー知恵袋より
ばあちゃん家行く度に「アンタはぎっちょだったんかね」とゆー初見のリアクションを毎回繰り返してました。
ぎっちょがマイノリティだった頃と比べると、ごくごくフツーにぎっちょがいて、ぎっちょ人口が増えたのも事実です。TVやCMでもふつーに露出してますね。

経験からすると、矯正はNG
 ぎっちょの認知が広まったとはいえ、矯正されるケースがあると思います。結論から書くと、矯正イクナイです。
単純に幼少期のストレスになってしまい、吃(ども)りになったりするそうです。調べてソースが出てこなかったのが残念ですが、たしかイギリスのかつての大統領が晩年その治療に大変苦労されたと記憶しています。
続けると、右脳左脳のインプットがぶつかってしまい、典型的なのが聞いている話が理解できないことが起きます(コレ、私がそうです)。耳から入った情報が脳をぐるっと1周しようとするそうで、脳で処理しようとする言葉が途切れたり、意味不明な言葉になってしまい「は?」と反射的に答えたり何度も聞いてしまったりということがあります(相手には大変失礼な態度だと思われそうですよね)。
また、(言葉は発せられているけど)聞こえない、理解できない他の要因で、会話している相手の声よりも周囲の声や音がノイズになって優先的に入ってきてしまうため、結果的に聞こえない・理解できないこともあります。
そういえば小学生時代、よく地獄耳なんて言われてました。だってピンポイントで遠くの同級生の会話が急に入って来るのですから(^^ゞ
と、これを書こうと思ったのも、うちの次女が完全ぎっちょなんですね。よく、幼児期はどっちの利き手もなくだんだん落ち着いてくる(長女は左利き→右利きでした)そうですが、次女の場合は何ら迷うことなくずっと左利きです。
なのでエジソン箸も、ハサミも左利き用。ナイフも持たせてみましたがぱっと左手で持ちます。そもそも右手で持つ概念がないんです。
もし、利き手の矯正を考えてる方がいらっしゃったら、被験者の意見としてお伝えください。自由に、のびのびなら構うことないのが1番ストレスフリーなのです(^^)
書き順(書き方向)が多少違っても、本人にはそれがフツーですから、不憫に思わないでください。理解に寛容になってください。
私の知り合いで、大人になってから”右脳を鍛えるぞ!”と左利きに変えた人もいます。とゆーことは大人になってから、本人の自由意思で充分間に合うのです。
参照サイト:Wiki:左利き左利きの是非 

眠る前に”ありがとう”を(^^)
 人の悪口を言うと、自分自身が傷付く理由。というTIPSを読んで、子供に話しました。要約するとこんな感じです。
・脳は主語を理解できないんだよ。
・だから自分から話したことが、誰に対して言っているのかわかっていないんだよ。
・誰に対してかがわからない、ひょっとして自分のことを言ってるの!?となるんだ。
・そうなると誰かに言ったはずの悪口が、自分に言った言葉だと思ってしまって自分で傷付いてしまうそうだ。
・逆に悪口じゃなくて、感謝したり褒めたりすると、同じように自分に言ってると思うから、いい言葉が返ってくるよね。
・プロゴルファーのタイガーウッズは、ライバルがいいショットをしたら「クソ~」と思わず、「素晴らしい!」って褒めるんだって。
ここまでは理解してくれました。
でも、多感でわかっちゃいるけど、どうしたらいいの?な時期の子供には難しい課題です。それでもイラっとして悪口言っちゃいそうだ、と言われました。
そこでこう提案しました。
”ムカついた相手の子に、「ありがとう」って唱えてごらん”
例えば最近、イライラした同級生いる?と聞いたら、「私が話したことをオウム返しのように話す子がいる」と。
じゃあその子にありがとうって言ってみよう。
それで、どうして”ありがとう”なのか考えてみよう。
考えつかなかった娘に私から、「オウム返しするほどそれだけ私がおしゃべりだっていうことに気付かせてくれてありがとう」はどうかな?と。
「そうだね。確かに自分じゃ気付けなかった!」
それで、”ありがとう”と感謝すればスーっと胸の中のイライラもとけてなくなっていくよ。
と、教えました。ムカつく相手に感謝するなんて難しいことですが、それを考える、探す行為が相手を理解したり寄り添おうとするきっかけになると思います。それが大切なのだと教えました。
ということで、イヤなことを消え去る呪文だけでなく、フツーに感謝できることもありがとうしよう!ということで、寝る前に「おやすみ」すると思いますが、これに「ありがとう」も加えよう!ということで、「ありがとう☆おやすみの会」を開きました。※学校の帰りの会、の会みたいなものですね。
家族みんなでベッドに集まって、幼稚園の次女からお姉ちゃん、嫁さんに私とみんなで言い合いました。
「美味しいご飯を作ってくれてありがとう」
「クルマ洗うの手伝ってくれてありがとうね。助かっちゃったよ」
「お姉ちゃん一緒に遊んでくれてありがとう」
ひとり2つくらい探して話すのですが、次女もなかなか。一方最近多感な時期に入ってきたお姉ちゃんも、ちょっと考えあぐねて、
「産んでくれてありがとう」
なんて深い感謝出しちゃってとても幸せな時間でした。
実は私、寝る前にその日関わってくれたすべての人を思い返して”ありがとう”しているのです。
家族はもちろんのこと、飛び込み訪問して対応してくれた人、コンビニの店員さんなど出会った人を思い返します。
このありがとうの元ネタは、以前書いた「勇者は”ありがとう”をとなえた!」に由来します。
衝突や揉め事、争い事を先手を取って昇華してしまう。これが和合の秘訣です。
おやすみ前に、ちょっとやってみてください。きっと次の日を迎えるのが楽しくなりますよ(^^) 

本を1冊、紹介します。
 今日は紹介したい本を棚から引っ張ってきました。それは、五木寛之さんの「生きるヒント」です。
この本に出会ったのは、19年前、高校卒業した頃(もうそんな月日が!)でした。
ジュディ・アンド・マリーのYUKIがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンでYUKIが紹介し、読んでみたくなりました。
YUKIが紹介した一節を同じように引用してみます。

第3章「悲む」のP66より。
それは、あるアサガオ研究家の話です。
学生時代からどうして朝、決まった時間にみごとな大輪の花を咲かせることができるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でもつづけ、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。
アサガオは夜明けに咲きます。
ふつう私たちはそれを、朝の光を受けてアサガオが花を開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不充分であるということがわかったそうです。
24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。
そこに紹介されている短い文章は、実験の結果を淡々と述べたものですが、ぼくにはとても詩的な感動をおぼえさせるものでした。
アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。
もっと正確な話をご紹介すべきかもしれませんが、ぼくにはただ文学的なイメージとして、夜の冷たさと闇の深さがアサガオの花を開かせるために不可欠なのだという、その言葉がとても鮮烈にのこってしまったのでした。


ちょうどその頃、生き死に迷い、どうしたいのかもよく見えず五里霧中な状態でした。今の前向きだけ思考なんて宣言している自分と当時とは対極的に真反対だったと思います。表面上は取り繕っていても、ココロは暗い、もしくは無い。そんな頃でした。
当時、今はきっとアサガオが花開く前の時と同じ。そう重ねたことを振り返ることができました。
この本に出会い、我々よりも激動の時期を生き抜いてきた五木さんの姿に感動しました。だって同じ19歳の頃、五木さんは境内の下で雨風をしのいで生活していたのですから。当時の私なんてちっぽけで恵まれていると反省しました。
「生きるヒント」は現在でも新版になっています。(私は集めた単行本がオススメですが)短い章ごとに区切られているので、ちょっとした時間にも読めるので、気になった方はぜひ!
生きるヒント
新版生きるヒント
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