社会をよくする、楽しくする

地方の衰退と少子化に危機感を覚え、2013年夏に地元静岡へ戻って来ました。
これからは地方の活性化と子孫繁栄に残りの人生を捧げます! なんて大きなこと書くと周りから引かれてしまいますが、自身の強みと持ち前のマイペースで活動していきまっす!(・ω<)ゞ

2016年08月

瞑想、したことありますか?
 いきなり瞑想と書くとハードル高そうに聞こえるので、「脳ミソ、休めてますか?」と
問います。こっちの方が難しいですか!?どっちもそうですね。脳を止めるなんて
仙人でもなし得ません!?

脳は心臓や肺の呼吸と同じように、24時間活動を続けています。
脳には色々な情報が絶えずインプットされてきて、寝ている時は主が休んでいることをいいことに(!?)暴走してます。この暴走が夢を見ていることにつながっているのです。
心臓や肺は動きを止めてしまうと苦しくなるので、これはやっても仕方ありませんが、脳は時々休めてあげましょう。

方法は脳のインプットを止めて考えることを一時的にストップするのです。
これも難しいですね。だって、耳に入ってくる音などで、もうインプットしてしまっているのですから。
脳を休める=瞑想になるわけですが、本格的にやろうとするとインドの僧侶とかになってしまいそうなので、私は簡易的なやり方で瞑想してます。
手順はこうです。
1.テレビなどは消し、静かな環境を作る。
2.体はリラックスし、仰向けに寝る。
3.目を閉じ、鼻で呼吸する
4.意識を鼻呼吸に向ける
鼻呼吸に意識を向ける、集中する、ここがミソでして。つまり呼吸は無意識的にしていることなので、とりあえず呼吸以外に意識が向かないようになります。
この4ステップで5分も続ければ軽い瞑想状態になります。10分も続けると脳がスッキリ!
それと深呼吸も良いそうですね。ということは普段無意識でしている呼吸は酸素足りてない!?ヨガ式の深呼吸など、ちょっと今度試したいと思います。
脳がスッキリし、眠気もぶっ飛びます。脳が空っぽになったところで、また新たなインプットがサクサクできますよ!
昼休みの眠たい時におためしあれ!(私はそのまま昼寝に移行しちゃいますが)
 

松ちゃんの「しくじり先生」が神回すぎた!

 しくじり先生、といえば失敗学のビデオラーニングのパイオニア(^_^;)、みたいな番組ですね。
ここに松ちゃんこと松村邦洋さんが登壇しました。

東京マラソンで心肺停止になって、二日後に意識を取り戻したのですね。私、AEDで助かって〜程度で記憶していたのですが、二日間も意識不明だったとは知りませんでした。
 

そして松ちゃんの教訓、「人生は自分のもの。命はみんなのもの。」東京マラソンで倒れた時に助けられ、多くの人に心配されたことから得た教訓。
それ聞いた時、ここに生きる真理があるのだと、ハタと気付かされました。

自分の人生だから、自分の責任で歩め。他人が奪う権利もなければ預けても依存してもならない。その必要もない※自分の人生奪われてませんか?奪ってませんか?

だけど、与えられた命は、自分のものだと過信するな。自分のものだからと粗末にするな。一人で生きていると思うな。大きな勘違いをするな。
ここに、”自殺しちゃいけない”明確な理由が見えます。
 
命は誰のもの? 

 人生と与えられた命を分けて考えると、歩むべき人生は自分で歩み、与えられた命は、みんなの命。なのです。誰かのためだけの命ではなく、みんなの、命なのです。
誰かが亡くなると、悲しいです。それは、その人に会えなくなることもそうですが、ひょっとしたらみんなで共有している命のひとつが、消えてしまったから。なのかもしれません。でももし、その故人が”その人らしく”人生をまっとうしていたのならば、これは腑に落として冥福を祈るべきなのだと思います。
逆にまっとうできていなかったのであれば、それは残された人々が悔やまれてしまうことになります。
そう考えると、だからこそ自分の人生を歩み、葬式にでも「あの人はあの人らしい人生歩んでいたね」と言われるような人生を送りたいものです。
そう考えると、人生も他人との共有物なのかもしれません。

そして我々は生きるために”いただいてます”ね。「いただきます」は「”命を”いただきます」につながります。自分の命をつなぐために、他の命を絶ち切り、いただいてます。
と、ここまで勝手に妄想して深く理解したのですが、合ってますでしょうかね!?

久々に子供に会ってそんな話をしたらちょっとだけ分かってくれました。でもここまで理解するのはもっと人生重ねないと難しい宿題かなぁ(^_^;)なんて。


でもシンプルに考えるならば、人生は自分で歩み、命を粗末に(殺める、おびやかす)な。勝手に死ぬな。ってことですね。
健康でいないことも、”命をおびやかしてる”ことですよ!不健康に生きていませんか!?それって、みんなのもの、粗末にしていることなんですよ!ささ!私も命を粗末にしないためにも、もうちょっと健康に生きよう!

ISHIKAWA-LABOにお邪魔させていただきました。
 先日、会合までにちょっと時間があり、三島YEGのメンバーである石川さんのお店が視界にチラリ。あ!寄れる!まさにこのタイミング!とISHIKAWA-LABOにとお邪魔させていただきました。
ガラスのドアを開けると、まさに石川ワールド。さすが業界に長く精通されている世界観とストーリーがあります。
ちょっと立ち寄り話くらいで寄らせていただきましたが、コーヒーとお菓子までいただいてしまい、おもてなしも最高!
その時交わした会話のなかから、↓のような気付きをいただきました。
行動することによってよかったのか悪かったのか、必ずどちらかがはっきりわかる。
すなわち”無駄かもしれない”という考えこそが1番の無駄であると気付きました。
 
石川さんとのわずかな会話でしたが、熱いオトコに引き出されてしまいました。こういう気付きって二言三言でもちゃんと出てくるのですね。びっくりしました。

実はこの”立ち寄れる!行こう!”という行動も、お話しできるチャンスがあるかもしれないし、例えば来客中でお話しできないかもしれない。どちらかの結果が潜在しているはずです。
それを、”たぶん忙しいだろうな”、”もう夜で閉店するだろうからお邪魔になるだろうな”と考えてしまうことこそが無駄であって、むしろ「会いたいなら行動すればいいじゃん」が正解なのだと思いました。
つまり、下手な考え休むに似たりなのでしょうね。(よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄だということ)下手な考えするなら、行動せよと。行動して思考よりも早く結果を出してしまえ!ということでしょうか。 
もし、躊躇するようなことがあれば行動してみてください(^^) 

「人生」というカテゴリーも勉強したいです
 最近思います。体力がこんなにも落ちるだなんて知らなかったと。筋力・体力・精力など、考えてみると活動の源泉なのですね。ガソリンです。プロゴルファーの青木功さんが「心・技・体」の順ではなく、「体・技・心」つまり、健全な体が作られてないと技も心もない。とテレビのインタビューでおっしゃっていました。
そう言われると、気持ちの切り替えやマインドセット、ポジティブ思考など体調不良時にうまく気持ちを乗せられません。”ポジティブだけ思考”なんて名乗ってますが、体壊すととたんに甘えん坊モードですね、私の場合。笑って乗りきれるさ!ワッハッハ!なんて気持ちにはなりゃしません(^_^;)

勉強の知識はたくさん教える教育にも、グーグルの20%ルールみたいに(今はやってないみたいですが)勉強以外の「世に出てから役立つ知識」を教えてほしかった、と大人になってから思ったものでした。
具体的に挙げたら、例えばこんなことでしょうかね。
祖父から孫への “人生で学んだ18の教訓が詰まった最後の手紙”
人が死ぬ前に後悔する20のこと
子供からすれば親しい人の”爺ちゃんの格言”的な言葉はほしいはずです。なぜならその短い言葉にその人の人生が詰まっているからです。
私のおじいちゃんも実は凄い人揃いでした。そしてそれを知ったのはお葬式の時。孫が大好物で何にしてもニコニコしてたおじいちゃんだったのに、実は~が出てくるのはあの世に行ってから。ズルいよ爺ちゃん!もっと話したかったYO!

社会人啓発ビジネススクールを開校!
他にも例えば社会に出たてのコをカモにする怪しいビジネスあったりするじゃないですか。無知であるがためにそれが正しいと信じこんでしまった、いわば”タマゴから孵ったヒナ”状態であると思うのですよ。あ!そういう啓発スクールビジネスやろうかな!?爺ちゃん婆ちゃんと組んでやるかな!その方面の方々には刺されそうですが(^^ゞ
大人は子供に内緒事が多くて、大人といっても壮年は青年に内緒事が多く、中年は壮年に内緒事があって、初老は中年に内緒事してて、老人は。。。アレ!?こんがらがる!とにかく人生の先輩は、先輩の状況を積極的に教えるべき!なのだと思うのです(^_^;)
この先こうなる、こうなる、だからこうしろ。というのは、人生の醍醐味を損ねるからあえて言わないのでしょうか?

でも1つだけ教えてほしくないことがあります。
それは先輩型の夜の性活です。(ウソです、聞いたらどっちに転んでも引きます)
それは人生の秘密です。こればかりは自分で探します。
もし、あなたが格言を残すなら、何て書き置いてこの世を去りますか? 





壮年は31-44歳を指すそうです。意外と若い年齢を指すのでしたか!勉強になりましたわ~ 

子供と清掃作業をして思うこと。
 先日、フェイスブックにもさわりだけ書いたので重複する部分もありますが、こんなことがありました。
※コピペしちゃいます。
夕方の散歩の時、次女と愛犬と近所の公園まで行きました。
公園の広場にパッと目を配ると、ペットボトルやらお菓子の容器が散在してたんですね(>人<;)
ブランコしながら次女に
「ゴミが散らかってるね、どう思う?」
「だめだねー」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「片付けた方がいいと思う」
とゆーことで2人でペットボトル4本とお菓子(ソフトクリーム)の容器とスプーンをいくつか回収しました。
愛犬のエチケット袋の予備があったのでゴミはまとめ、ペットボトルは手で持ち帰りました。
思ったことは今夜ブログにまとめます。
それと今後はもう一回り大きいビニール袋を持って散歩に出かけたいと思います(^ ^)
 


ま、日常ありがちな光景。といったらそれまでなのですが、NPOサプライズ飯倉さんが以前おっしゃっていた、”ゴミ拾いを始めたきっかけと同じような光景”が自分の眼前に広がっていたのです。→NPOサプライズの清掃活動はコチラ
見過ごすか、行動するか。考える必要なんてありませんでした。0.1秒、いや0.000001秒で「片付けよう」と思いました。
公共の場所だけでなく社会はみんなのものです。みんなのもの、というと所有物のようですので言い換えると”みんなが利用するものです。プライベートの場所・モノ以外は、すべての人の利用機会を内在しているのですね。
それと捨てていない自分があえて片付けることには、「割れ窓理論」のことも頭によぎりました。(ニューヨークの地下鉄で落書きを一掃したら犯罪が激減した)
子供も利用する公園をキレイに安全に使いたいのは、私だけではないですからね。
それに前述の子供に聞いたら片付けるという意見も尊重し行動に移したわけです。
ゴミをまとめ、最初近くのコンビニのゴミ箱に捨てようと思いました(拾った容器がおそらくそこのコンビニのものだったので)。でも止めました。コンビニのゴミ箱に処分することはカンタンです。でもそうでない気がしたからです。自宅に持ち帰ってペットボトルは水道で洗い、潰しました。

他人の尻ぬぐいをやる必要はあるのか
 街や社会は”みんなのため”なんてあえて考えること、30を過ぎるまで考えたこともありませんでした。”みんなが使うから自分もちゃんとしよう”というとなんだかおこがましくて逆説がはびこっているなら自分もちゃんとしなくていい。なんて考えも起きてしまいそうです。
それよりも、”みんなはそうは思ってないかもしれないけど、自分からちゃんとしよう”と考えると、他人のエゴなんてどうでもよくなり、逆に賛同している人がいれば共感し合流できると思います。
”ゴミを拾うのはゴミを捨てた人”ではなく、”ゴミを拾うのは自分の社会を安心して利用するため”くらいに思って行動すると、”誰かのため”と”自分のため”がセットになっていて、行動にも葛藤は現れないのだと思います。
何より、ブログのタイトルどおり、「社会をよくしたい。楽しくしたい。」そう思っていることが行動になっているだけなのかもしれません。
”人間は思ったことしか実現しない”なんて時々聞きますが、最近思うのです、もっと自分にはやらなくてはならないことが他にたくさんあるのではないか。今、生きていることが成すべきことを成していないのではないか。自問自答の日々です。 

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